井伊しの(ひよ/永護院)はなぜ松下常慶の兄・清景と再婚したのか?直政にとっては恩人!

井伊しの(ひよ/永護院)は、
井伊直親の妻で徳川四天王と称される井伊直政の実母です。

井伊直親亡き後、
まるで井伊と徳川の橋渡しのように
松下常慶の兄・松下清景と再婚します。

そこにどんな思いがあったのでしょうか?
また、再婚相手の松下清景とはどのような人だったのでしょうか?

調べてみました。

 

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井伊しの(ひよ/永護院)はなぜ松下常慶の兄・清景と再婚したのか?

伊井しの(ひよ/永護院)が再婚した松下常慶の兄とは?

しの(ひよ/永護院)と再婚した
松下常慶の兄は松下清景(まつした きよかげ)といいます。

徳川家の家臣で後に井伊家の家老となります。

生年ははっきりしませんが
没年は慶長2年(1597年)です。
豊臣秀吉が亡くなる前年、関ヶ原の戦いの3年前に亡くなります。

 

 

直政の実母・しの(ひよ/永護院)と
再婚したのは、天正2年(1574年)とされています。

武田信玄が亡くなった翌年です。

 

 

松下清景にとっては後妻と後継ぎ、
一度手に入れることができますし、
なにしろ虎松(後の直政)は
井伊家の本流ですから悪い話ではありません。

 

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」では
第29話でしのの再婚話が出て来ます。

関連記事⇒おんな城主直虎29話あらすじとネタバレしのの決意と虎松の未来!「女たちの挽歌」!

 

 

時期的に少し早い気もしますが、
この時代ですから、縁談が持ち上がってから
月日がかかるのはありがちですよね。

 

井伊しの(ひよ/永護院)が松下清景と再婚した理由

虎松が生まれたのは永禄4年(1561年)

しのと直親が夫婦になって
5年目に生まれた待望の男子でした。

ところが、父親の井伊直親は
今川家から徳川への内通を疑われ、誅殺されてしまいます。

更に今川家は、虎松をも殺すようにと命じて来ます。

この時に命がけで助命嘆願したのが新野左馬之助親矩です。

これが功を奏し、
虎松は何とか生き延び、
後は女地頭(おんな城主)直虎が後見しています。

 

直虎と直虎の実母・祐椿尼、
そして虎松の実母・しの(ひよ/永護院)
女たちは必死で虎松を守ろうとします。

 

ところが井伊家はこの後、存亡の危機に陥ります。

 

 

永禄11年(1568年)、
今川で寿桂尼が亡くなったその年、
今川はいよいよ井伊家を直轄領にすべく動き出します。

まず、直虎の地頭職を解任
小野政次を城主にします。

関連記事⇒小野政直・政次は井伊家家老なのになぜ直虎を陥れた?子孫はどうなった

 

井伊谷城から追い出された
直虎、祐椿尼、しの、虎松は
龍潭寺内松岳院に逃げ込みます。

 

 

この後虎松は一旦、
愛知県新城市の鳳来寺に匿われています。

武田信玄が野田城攻めの後立ち寄り、
秘仏を素手で触れた因縁のお寺です。

関連記事⇒武田信玄の死因は仏罰か!?直虎との関係や井伊谷蹂躙を解説!

 

 

したがって、一旦ここで
井伊家はお家断絶したも同然の状態になります。

 

ところが、井伊谷城主となった小野政次は、
遠江進攻を始めた徳川家康に寝返っていた井伊谷三人衆に葬られてしまいます。

関連記事⇒井伊谷三人衆とは小野政次を葬った男たち!井伊直虎・直政との関係は?

 

虎松が龍潭寺に再び戻るのが
天正2年(1574年)、13歳の時です。

 

 

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」で
この時から虎松役を菅田将暉さんが
演じるのではないかと推察していますが・・・。

 

井伊直親の13回忌に
鳳来寺から龍潭寺に戻った虎松をどう育てていくべきか・・・。

 

井伊家の軍師的存在である
龍潭寺の南渓和尚を中心に
実母・しの(ひよ/永護院)、
直虎、祐椿尼は知恵の限りをつくしたのでしょう。

 

 

結局4人は、虎松を鳳来寺には帰さずに
実母・しの(ひよ/永護院)を.
松下常慶の兄・清景に再婚させ、
虎松をその養子に据えたのでした。

 

そして、松下虎松となった後に
徳川家康に仕官させようという筋書きを立てたのです。

 

これが、しの(ひよ・永護院)が
松下清景に再婚した最も大きな理由です。

 

事が筋書き通りに行くかどうかはもう懸けですよね!

 

 

井伊家再興の祈り

虎松が徳川家康に目通りできたのには
養父・松下清景と常慶の力添えが大きかったと思います。

目通りの折に着ていく羽織は、
直虎と実母のしの(ひよ/永護院)の
お手製だったといいます。

井伊家再興の祈りと願いが籠っていたことでしょう。

いきさつはこうです。

 

 

徳川家康にお目通りが叶った虎松は、
「井伊直親が一子・井伊虎松と申します」

名乗ったところ、家康は
「井伊直親の実子、取立不叶
 (井伊直親の実の子であれば、取り立てないわけにはいかない)
 井伊家を再興して、井伊万千代と名乗るように」

こう述べたと井伊家伝記に記されています。

 

 

もちろん、お目通り前に、
井伊直親が誅殺されたいきさつ
その後の縁組のことなども、
松下常慶や清景から詳しく聞き及んでいたものでしょう。

でなければ、こう筋書き通りにはいかないでしょうから。

 

まさに、松下常慶とその兄・清景は、
虎松(直政)にとっては恩人である
と言って良いのではないでしょうか!

 

 

井伊家再興の後

 

井伊万千代と名を変え
徳川家康の小姓となった虎松は
その後家康の元で数々の戦功を挙げていきます。

「井伊の赤鬼」と恐れられ、勇名を馳せます。

 

関ヶ原の戦いで、鉄砲傷を負ったときに
家康はまるで我が子を心配するように
気遣ったと言われています。

井伊虎松から万千代、そして井伊直政となり
徳川四天王と称され、彦根藩始祖となります。

 

関連記事⇒井伊直政徳川四天王となり家康に忠義を尽くした男!養母・直虎との絆

 

実母・しの(ひよ/永護院)、直虎、
祐椿尼、南渓和尚の作戦は見事成功したのでした。

 

 

そして、養子の虎松を
井伊家の後継に返した松下家には
中野直之の次男・一定が養子に入り、跡を継ぎました。

 

 

中野直之は大河ドラマで
矢本悠馬さんが演じておられます。
直虎の良い家臣として描かれています。

 

しの(ひよ/永護院)は、
天正13年(1585年)松下清景の家で亡くなります。

再婚先でもお役目をきちんと果たされています。

 

直虎が天正10年に亡くなっていますから、
直虎亡き後は、実母のしの(ひよ/永護院)が
直政を見守り続けていたことでしょうね。

 

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まとめ

井伊虎松、後の井伊直政の
実母であるしの(ひよ/永護院)は、
松下常慶の兄・清景と再婚します。

 

その頃、井伊谷城も奪われ
命さえ危ぶまれる状況のなか、
しのの再婚には、井伊家再興の
祈りと願いが込められていました。

 

嫁ぎ先の松下清景は、
弟・常慶と共に虎松(直政)を
徳川家康に目通りさせ、
井伊家再興に力を貸しました。

 

松下家には、中野直之の次男が養子に入り
跡を継いでいます。

両家共に丸く収まりました。

 

しの(ひよ/永護院)、直虎、祐椿尼、南渓和尚。

松下常慶とその兄・清景。

全て虎松(直政)の恩人です。

 

では、本日も最後までお読みいただき有難うございました。

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