今川仮名目録とは?氏親が制定した33ヶ条の家法の意味と寿桂尼との関わり!

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今川仮名目録(いまがわかなもくろく)とは
今川氏親が死の2ヵ月前に33ヶ条を制定した分国法・家法です。

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」でも
新しく国を治めることとなった直虎が
この今川仮名目録を参考にするようですね。

今川氏親の正室・寿桂尼が
作ったともいわれているようですが
本当でしょうか!?

 

サックリと今川仮名目録の意味をご紹介し、
寿桂尼との関わりを探ってみました!

 

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今川仮名目録とは?

今川仮名目録制定の目的は?

氏親は自分の死後に
領国が混乱することを避けるため
この仮名目録33ヶ条を制定したといわれています。

想定外の訴訟ごとが持ち込まれても
この制定に定められたとおりに対応すれば
上手く事が運ぶように、という目的です。

 

氏親が亡くなった後は、
なんとか氏輝に家督相続させますが、
その氏輝が24歳の若さで亡くなった後
家督相続争い花倉の乱が起こっています。

その時も寿桂尼は太原雪斎と共に
我が子・義元に家督を継がせることに成功します。

かなりやり手だったことは間違いありません。

 

 

 

今川仮名目録33ヶ条の内容・意味をサックリと!

第1条:家臣の所領である名田を正当な理由無くして地頭が没収することを禁止。
   さらに他者の名田を年貢増により占有を申し出ることができる。
    
    

第2条:既に定められた田畑や山林原野の境界に関する争論について。

    元々の境界線をよく究明すること。
    原告あるいは被告の不当な謀訴であると判定された場合、その者の所領を三 
       分の一没収する。
    

第3条:元々田畑出逢った土地が荒廃し、再度土地を開望する場合に旧名主同士で争  
     いが起こった場合。

    元の境界が判定し難い場合、双方が主張する境界の中間を新規の境界と定め 
       るか、それを双方が不承知ならば、権利を没収して別の名主あるいは家臣に与える。
    

第4条:訴訟中の土地を勝手に耕作したり、他人の耕作を妨害することは違法である。
    しかし、判決が確定した後、この咎が子孫に及ぶのは不便なので
    判決後三年を経てやり直して、正当な権利を落着させるべきである。

第5条:譜代の家臣を他の主人が元の主人に断りなく召し使うことは以前から禁止。
    その場合は、裁判によって身柄を引き受けるべき。

   また、元の主人が新主人にそのことで抗議した場合に、家臣が恐れて逃げ出 
   した場合、新主人は別の一人を代わりに弁償するように。
    

第6条:譜代家臣以外で、犯罪を犯していない被官人(家臣)が逃亡した場合、
    二十年を経たら捜索や連れ戻してはいけない。

 

第7条:夜中に知人でも客でもない者が、他人の屋敷内に入った場合、とりあえず逮捕。
    抵抗を受けた場合、殺害もやむなし。

 

第8条:喧嘩をするような者は、理由にかかわらず双方ともに死罪とすべき。
    つまり喧嘩両成敗。

    ただし、相手から喧嘩を仕掛けられても我慢して耐えた者は罪を免じられる。

    また、喧嘩の味方をしたものが現場にいて怪我をしたり死んだりしても訴訟 
    を起こすことができない。

    喧嘩の成敗は、妻子家族に累は及ばないが、もし喧嘩をした本人が逃亡した 
    場合、妻子等に咎が及ぶ場合もある。
    

第9条:喧嘩の加担者が多く、喧嘩の張本人が明確にならない場合、
    喧嘩に加担したものも死罪とすべき。

    もしその後、喧嘩の張本人が判明した場合、主人が処罰をすること。
    

第10条:家臣の喧嘩や盗賊行為などの不法行為は主人に咎は及ばない。
    ただし、きちんと事を詮議せずいつの間にかその家臣が逃亡した場合は
    主人の所領の一部を没収する。
    所領がない場合は相応の罪科が与えられる。
    

第11条:子供の喧嘩は詮議におよばない。
    ただし、双方の親が喧嘩をけしかけたり、鬱憤晴らしの行為に及んだら
    父子ともに同罪として処刑。
    

第12条:子供が誤って友人を殺した場合処刑におよばない。
    ただし、15歳以後は咎を免れがたい。
    

第13条:主人より与えられた田畑を、考えもなく身勝手に売ることは禁止。
    ただし、やむを得ない理由がある場合は、その旨を報告すること。
    この場合、買い戻しできる年期を決めて許可をすること。
    つまり、田畑の質入れみたいなものでしょうか?
    これ以降は、身勝手に土地を売却すると罪に処する。
    

第14条:元の主人は、売却された土地を年期の期限が終わるまでは検地をすることは禁 止
    

第15条:井戸や用水路をつくる場合、他人の土地を通る場合には、その土地の持ち主に
    使用する代価を支払うこと。
    

第16条:主人が他国人であっても、その主人が家臣に与えた土地を不当に奪っではいけない。
    

第17条:古文書を根拠として名田の知行権を望むことは禁止。
    ただし、正当な譲り状がある場合はまた別。

 

第18条:借米の利息は、その年の1年間は契約によって定めた利率とするように。
    次の年から一石に付き利米一石。
    5年の間に本米・利米合わせて六石と決めるように。
    6年を経て返済が滞る場合は、奉行あるいは領主に報告し、
    差し押さえ等の対策を講じるように。
    

第19条:借金の元利合計が元本の二倍になったなら、貸主は二年間は返済を猶予するように。
    ただし、6年を経ても元利返済がない場合、奉行や領主に報告の上差し押さえ等
    の対策を講じるように。
    
    

第20条:借金のかたに知行を入れ、にっちもさっちもいかなくなったといい、
    出家あるいは逃亡と称して領主に詫び言を入れて助けを求める家臣がいる。

    これまで数々、救済してきたが今後は領地や財産を没収する。
    
    

第21条:他人の知行地の百姓に債務の差し押さえを行う時は、前もって
    領主と奉行に届を出すこと。そうでなければ、処罰の対象とする。

 

第22条:幕府・朝廷が定める守護不入特権は改定や廃止はしない。
    

第23条:駿府の守護不入の特権を廃止する。
    

第24条:駿河・遠江の港の運搬税、遠江の荷駄の通行税や関所は廃止。
    ただし、今後は今川家が直接税を徴収する。
    
    

第25条:今川家に報告せずに債務者から差し押さえを徴収するものは処罰する。

第26条:海岸に流れ着いた難破船は、元の船主に返すこと。
    持ち主が不明の場合、神社仏閣の資材として寄進すること。

第27条:川に流れ着いた木材などは、流れ着いた土地の者が所有する。

第28条:諸宗派による宗教論争は禁止。

第29条:諸宗の僧侶が法系を継がせるにあたり、器量を考えもせず寺を譲ることは禁止

第30条:駿河・遠江の者は、他国との婚姻を禁止する。

第31条:今川家の許可なく、他国人が軍事行動に加わることは禁止。

第32条:三浦二郎佐衛門、朝比奈又太郎の出仕の席次が決まったら、その他の家臣は
    席次を無理に決めることは無い。
    さらに、神仏に勧進する猿楽や田楽などの席次はくじ引きで決めること。

第33条:他国の商人を家臣とすることは禁止。

サクッとまとめるとこのような感じですけど、長いし細かい!(笑)
これを手にしたおんな城主直虎は、随分と参考になったでしょうね。

 

この今川仮名目録33ヶ条の制定により、
今川家は守護大名から戦国大名へと立場を変えたとも言われています。

ちなみに、氏親が制定した今川仮名目録33条に
天文22年(1553年)に今川義元が制定したもの
が、仮名目録追加21条(かなもくろくついか21かじょう)です。

氏親が制定した33ヶ条に追加された国分法で
主に、家臣同士の境論や相続について記載されています。

 

 

寿桂尼は今川仮名目録作成に関わったのか?

 

今川仮名目録は寿桂尼が作った?

今川仮名目録を制定した今川氏親は
第7代今川家当主です。

氏親は、京の公家へのあこがれが
強い人だったといわれています。

 

永正2年頃(1505年頃)京の公家
大納言・中御門宣胤の娘と結婚します。
後の寿桂尼です。

NHK大河ドラマで、
浅丘ルリ子さんが演じておられます。

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おいくつになられても、
格別なお美しさです。上品で。

 

寿桂尼は、高貴なお姫様です。
お嫁入りの際には、お父上・中御門宣胤様から
印判を授かっています。

 

永正11年(1513年)に長男・氏輝が生まれ、
続いて次男・彦五郎、永正17年には
三男(氏親の5男)・義元が生まれています。

今川義元が公家のような化粧をしたり、
氏真が蹴鞠に夢中になるのも、
京のお公家さん流、なのでしょう。

 

 

ところが、夫の今川氏親は、
大永6年(1526年)に仮名目録33ヶ条を制定し、
その2ヶ月後の大永6(1526年)6月23日に
享年54歳で病死します。

 

中風だったといわれています。
現代でいえば、脳出血か脳梗塞。
脳血管障害で十余年も病床にあったといわれています。

病床にあったと記されていることから、
かなりお身体は不自由な状態だったのではないでしょうか。

33ヶ条もある分国法をまとめ上げるには
頭脳も気力も体力も必要ですよね!

 

 

このような氏親の健康状態から、
死の2ヶ月前に制定された
今川仮名目録は、寿桂尼と側近が作成し
氏親の名で発布したのではないかといわれています。

 

けれども、この点は研究者により諸説あるようです。

ただし、氏親の健康状態が優れないため、
寿桂尼は、常に後継者のことを考えていなくては
ならない状況だったことは確かでしょう。

 

今川家では、氏親が家督を継ぐ際も
家督相続争いが起こっていますから。

正室であり、長男・氏輝を産んではいますが、
側室にも男子がありますから
やはり気が気ではなかったのではないでしょうか。

 

なぜならこの時、寿桂尼の子・氏輝は
14歳とまだまだ若年ですし、
五男の義元は寺に入っていました。

急に氏親に亡くなられては、
先が不安なことも多かったでしょう。

 

 

このような周囲の状況を推し測ると
氏親亡き後、我が子・氏輝に家督を相続させ、
領国を安泰に導くためには、
新たに制定した国分法に、
寿桂尼が強く影響していたと考える方が自然な気がします。

氏親亡き後、長男・氏輝が第8代当主となります。

寿桂尼は若年の氏輝を補佐し、
2年間は、印判を使用して公文書を発行しています。

 

実質的には当主としての役割を果たしていたのでしょう。

寿桂尼のその後の人生

寿桂尼は「女戦国大名」といわれたほど
今川家で実権を持っていた人でした。

このようなことから、
今川仮名目録は、寿桂尼と側近が
作成したのではないかといわれる所以でもありましょう。

けれどもそれは、そうせざるを得なかった、
決して安泰な生涯ではなかったからです。

 

長い事、夫・氏親を看病し、
死後は長男を相続させますが、
その氏輝と次男・彦五郎が
天文5年(1536年)に相次いで亡くなってしまいます。

 

そこで急きょ、出家していた義元を
還俗させ、後継にしています。

けれどもこの時には、
側室の子と家督争いが起こっています。
花倉の乱です。
下記記事内で述べていますので、
宜しかったらご覧くださいマセm(__)m

関連記事⇒太原雪斎は徳川家康の師だった?今川義元を太守に押し上げた人

 

 

そうして、家督を継いだ今川義元が
永禄3年(1560年)桶狭間の戦い
織田信長に殺されてしまいます。

 

 

何とも、次々に・・・。
京のお姫様には残酷な運命です。

そして、義元の跡を継いだ
今川氏真は政治的能力が欠如した人物でした。

そのため寿桂尼は、
またもや政治の表舞台に戻らざるを得なかったのです。

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」でも
描かれているように・・・。

 

 

寿桂尼は、今川家が衰退の一途をたどっていた
永禄11年(1560年)にこの世を去ります。

70~80歳の間ではないかといわれています。

 

 

その死に際して、今川家の居館の鬼門
龍雲寺に埋葬するよう命じ、
「死しても今川の守護たらん」
と希望したようです。

 

壮絶ですね!

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まとめ

今川仮名目録とは、
第7代今川家当主・氏親が
大永6年(1526年)4月に制定した分国法・家法です。

 

目的は自分の死後の領国の安泰を願ってのことです。

内容・意味は
第1条~4条:土地に関する規定を記した法

第5条~第6条:下級家臣の取り戻しに関する法

第7条:不法侵入者に対する権限

第8条~第11条:喧嘩に対する条文

第12条:友人誤って殺害した場合の免責条項

第13条~第21条:土地売買・貸借に関する条文

第22条~第23条:不入地に関する条文

第24条~第33条:関所撤廃、寄り船、寄木に関する法と婚姻制限等

これに家臣同士の境論や相続について
21条を追加したものが
今川義元が制定した仮名目録追加21条です。

 

この今川仮名目録は、実は
寿桂尼が作ったのではないかといわれています。

寿桂尼は京の公家の姫で
氏親と結婚してから3人の男子に恵まれています。

しかし、氏親は中風で晩年の十余年を
病床で過ごす健康状態でした。

 

このようなことから、
氏親が亡くなるわずか2ヶ月前に
制定された今川仮名目録は、
実は寿桂尼とその側近たちが
作ったのではないかという説があるのです。

 

しかし、研究者により諸説あり、
間違いなく寿桂尼とその側近が
作成したかどうかは定かではありません。

 

氏親の病状や跡を継ぐべき
寿桂尼の子がまだ若年であることから、
分国法である仮名目録作成における
寿桂尼の影響力は大きかったものと思われます。

 

寿桂尼はその後女戦国大名として
今川家の屋台骨を支え続けることになります。

波乱の生涯を閉じるその瞬間まで、
今川家の行く末を案じ、
亡骸を屋敷の鬼門に葬らせた女傑でした。

では、本日も最後までお読みいただき、有難うございました。

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