小野政直・政次は井伊家家老なのになぜ直虎を陥れた?子孫はどうなった

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小野政直・政次父子は井伊家筆頭家老でありながら、
井伊家を2度も窮地に落とし入れます。

特に小野政直の息子・政次は
ついに井伊家を奪い取り、当主の座に着きます。

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」では、
幼少の頃から、井伊直虎の幼なじみとして描かれています。

そんな、政次がなぜ井伊直虎を陥れたのでしょうか?
親子の血のなせる業でしょうか?
井伊家を陥れた後、小野家の子孫は生き延びたのでしょうか?

謎が多いですが、まとめてみました。

 

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小野政直・政次は井伊家家老なのになぜ直虎を陥れた?

小野家は名家

飛鳥時代から続く、皇別氏族(皇室の一門の中で臣籍降下した分流の氏族のこと)で

孝昭天皇の皇子である天足彦国押人命を祖とする氏族です。

 

著名な人物に、

遣隋使:小野妹子

能書家:小野道風(おののみちかぜ)

公卿・文人:小野篁(おののたかむら)

女流歌人:小野小町(おののこまち)

なんだか由緒正しすぎて・・・。

 

つまり、井伊谷を統べる国主・井伊家より
家柄としては名門です。

名門中の名門・・・でした。

 

 

小野政直(道高)は井伊家家老なのになぜ直虎を陥れた?

小野政直生年は不詳ですが、
没年は天文23年8月27日(1554年10月3日)といわれています。

 

元々豊田郡小野村に住んでいたのを、
井伊氏に招かれて引佐軍小野村に移って来た。

または、今川家の命で井伊家にスパイとして送り込まれた。

という説があります。

個人的には、後者の
今川家のスパイとして送り込まれたという説の方が自然な感じがします。

 

もし、家柄などが理由で
井伊家が小野氏を招いたのだとしたら、
縁組などで縁戚関係を構築したでしょうけれど
井伊家はむしろそれを嫌っている風があります。

 

政直の主君であった井伊直盛に嫡男が無く、
直虎(娘)に養子を迎えようとしたときに
小野政直は今川家との縁組を勧めていますが、
直盛は、叔父・直満の嫡男・直親(幼名・亀之丞)を婿養子に立てています。

 

時代は群雄割拠している戦国時代です。

 

折しも、甲斐の武田信玄の侵攻に備え
井伊直満・直義兄弟が、軍備を整えている最中でした。

直虎と直親の縁組に不満を持つ小野政直は、
井伊家を支配している今川家に、
直満・直義兄弟が、謀反を企てていると讒言したのです。

 

天文13年(1544年)直満・直義兄弟は
駿府の今川義元の元へ呼び出され、自害させられてしまいます。

 

さらに、小野政直は今川義元の命を受け
直満の嫡男・直親(亀之丞)までも殺そうとします。

 

直親(亀乃丞)まで殺されてしまっては、
井伊家に男子がいなくなってしまいます。

 

 

小野政直が井伊家の家老でありながら、
井伊直満を陥れた理由は、井伊家の男子を絶とうとしたのでは?

 

そしてその後は、今川家と手を組んでいる小野家が思い通りに支配していこうという。

 

これが狙いだったのではないでしょうか?

すでに今川家と密約を交わしていたのかもしれません。

しかし、直親は龍潭寺住職・南渓和尚の助けられ
長野県下伊那郡高森町の松源寺に匿われます。

 

さらに井伊家を陥れようとする小野政直

小野政直は、嫡男・政次(幼名・鶴丸)を
井伊直虎の婿にしようとしたのです。

そうなれば、井伊家の当主は、政直の嫡男・政次になりますから。

 

まず邪魔者を排除し、自分の血統を井伊家と結びつける。
思い描いた通りに事は運ぼうとしていました。

 

 

ところが、直虎は龍潭寺・南渓和尚の元で出家してしまいます。
生涯独身を貫き、許嫁・直親との愛を貫くことに決めたのでした。

 

 

直虎は、自ら出家し次郎法師となることで、小野政直の陰謀を阻んだのです。

 

 

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小野政次は井伊家家老なのになぜ直虎を陥れた?

 

幼き頃の小野政次・嫉妬していた?

小野政直の嫡男・小野政次。

幼名・鶴丸。

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」では、

鶴丸を小林颯君が演じ、

成長し政次と名乗るようになってからは

高橋一生さんが演じます。

 

ドラマでは、直虎・亀之丞・鶴丸が
幼なじみとして育ちます。

しかし、井伊家内で今川家寄りの小野家は
嫌われていました。

 

幼少時代から、そんな境遇で育ちますから
かなり葛藤があったでしょうね。

直虎と亀之丞が許嫁になったと知り、
羨ましい気持ちや、亀之丞に嫉妬する気持ちがあったかもしれませんね。
恋心もあったのかもしれません。

今としては知る由もありませんが。

 

父・小野政直の遺志を継ぐ政次

天文23年(1554年)に井伊家の家老を務めていた父・政直が病死します。
これにより嫡男・政次(道好)が家督を継ぐことになります。

小野政直が亡くなったため、
井伊直盛は、直虎の許嫁・直親を井伊谷に呼び戻します。

 

元治元年(1555年)井伊谷に戻った直親は、直盛の養嗣子になっています。

 

 

でも実はこの時、直親(亀之丞)には、匿われていた長野に妻子がいたのです。
直虎が出家したと聞き、別の女性と結婚したようなのです。

 

直虎は直虎で、直親(亀之丞)の生死すら知らされていなかたのですから、哀しいですね。

そして、時代は動きます!

桶狭間の戦いです。

永禄3年(1560年)西上する今川軍に従い
井伊家も従軍しますが、桶狭間で織田信長に大敗し
今川義元が討たれてしまいます。

 

 

井伊家も、当主・直盛が討ち死にしてしまいます。
しかし、直盛は直親の身を案じ、遺言を残していたのです。

 

直親の後見として、分家の中野直由を立てるように指示していたのです。

このため、小野政次は井伊家に手出しをすることができなかったようです。

 

小野家に対する井伊家の危機意識はかなり高ったのでしょう。
それを、娘の直虎もよくわかっていたのでしょう。

 

 

ところが、父・政直が井伊家を陥れた時のように
嫡男・政次にも、井伊家を陥れる機会が訪れます。

 

桶狭間の戦いで大敗した今川家からは
離反者が後を絶ちませんでした。

 

今川家の人質として幼少期を過ごした
三河の徳川家康も、今川を離反し織田家と同盟を結びます。

井伊直親もまた、徳川家康と秘かに内通していたのでした。

父・政直の行為を再現するかのように
政次は、直親が徳川家に内通していることを今川氏真に讒言します。

 

 

これを受けて、永禄5年(1562年)
今川氏真が、井伊直親討伐に動き出したのでした。

直親は氏真に謝るために駿府まで出向くことにしました。

ここが謀だったのです。

この道中の掛川で、井伊直親は今川家家臣に襲われ誅殺されてしまったのです。

 

 

父・政直がしたことと同じです。
小野政次は、今川に告げ口をし、おびき寄せ、殺しています。

 

ここまでくると、やはり
井伊家を乗っ取りたいという、強い意志を感じます。

 

 

父・小野政直が果たせなかった夢を、
息子の政次がかわって果たそうとした、としか思えませんね。

 

直虎と結婚し、井伊家に入ることは叶いませんが、
直親を亡き者にすれば、井伊家を我が物とすることは可能です。

 

政次はさらに、直親の息子・直政をも殺害しようとします。

これもまた、父・政直がやったこととそっくりです。

 

 

ところがこれは、直虎の母・祐椿尼の兄・新野左馬助により阻まれます。
これが無かったなら、井伊家は断絶間違いなしです。

 

井伊家を救ったのは、新野左馬助と言っても過言ではありません。

 

 

しかし、井伊家にはこの後さらなる不幸が続きます。

 

政次の前に立ちはだかるのは、おんな城主直虎だった!

永禄6年(1563年)直虎の曾祖父・井伊直平死去

永禄7年(1564年)直政(直親の嫡男)の後見人・中野直由が戦死

井伊家の唯一の跡取り、直政はまだ僅か3歳でした。

井伊家を統べる成人男子が居なくなったのです。

そこで、いよいよ
おんな城主直虎の誕生となるのです!

 

 

井伊直盛の娘・直虎。
出家して次郎法師と名乗っていた直虎。
龍潭寺・南渓和尚により、還俗したのでした。

 

 

本当に皮肉なものですね。

小野政次が、父・政直の遺志を継ぎ
井伊家を陥れようとさえしなければ、
おんな城主直虎の誕生はなかったでしょうから。

 

直虎は、初恋の人・直親への思いを胸に秘め
龍潭寺で静かに親族の菩提を弔って一生を終えたことでしょう。

 

ところが、女人の身でありながら、
堂々、政次に立ちはだかる直虎だったのでした!

 

 

小野政次、井伊家を乗っ取る

戦国時代まだまだ動きます!

 

永禄11年(1568年)甲斐・武田信玄の西上が始まり
今川氏の本領・駿河に侵攻を始めました。

小野政次は、今川氏真の元、今川軍として従軍していました。
その時に今川氏真より、このような命令を下されます。

 

井伊直政を殺し、井伊家を乗っ取れ!
そしてその軍勢もろとも、我が今川軍を加勢するのだ!

小野家は、井伊家の家老でありながら、実態は今川家の家臣だったのです。

 

小野政次はこの命令通り動きます。

 

井伊家を襲撃しますが、
次郎法師(直虎)、直政、祐椿尼は龍潭寺に逃げ込み救われたのでした。

井伊谷3人衆、井伊家を救う

小野政次の暴挙を知り、動いたのは徳川家康でした!

井伊谷三人衆といわれる
近藤康用・鈴木重時・菅沼忠久の3人衆を井伊谷に派遣し、
小野政次の手から、井伊家奪還に成功します。

 

 

小野政直・政次父子が、生涯かけて奪い取ろうとした井伊谷は
わずか一月ほどで、井伊家の元に奪い返されたのでした。

 

 

小野政次の最期

井伊谷三人衆との戦いに敗れ、敗走した小野政次でした。

井伊谷から退去し、近くに隠れていましたが
結局は捕えられます。

永禄12年4月7日(1569年5月3日)処刑。

一説には、にされたともいわれています。

同じ処刑でも、切腹すら許されなかったようです。
重罪人として扱われたのでしょう。

 

家康は主家を裏切ることを、嫌いますから。

小野政次には、息子が二人いましたが、
政次が処刑された約一月後に、斬首刑に処されています。

 

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」で
小野政次を演じるのが高橋一生さんなので、
少々胸が痛みます・・・。

小野政直・政次の子孫はどうなった?

上記のように、小野政次の息子は処刑されてしまいました。

政次に女子がいたのかどうかは不明です。

ただ、小野家の血統が、皆々裏切り者だったわけではありません。

次男で、政次の弟・玄蕃。

この方の血筋は残ります。

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」では、井上芳雄さんが演じます。

 

 

玄蕃は、父・兄とは同調しなかったのでしょう。
この方はまさに、井伊家と小野家の橋渡し役だったのでした。

しかし、その小野玄蕃も、桶狭間の戦いで戦死します。

正室は、井伊家重臣・奥山朝利の娘です。
NHK大河ドラマおんな城主直虎では、山口紗弥加さんが演じる「なつ」です。
姉は井伊直親の正室です。

複雑ですね。

小野玄蕃には嫡男がいて、血脈はここで残っていきます。

小野朝之。

朝之は、直虎が後見し養育した井伊直政と共に
徳川家康に仕官しています。

 

小野政直には、嫡男・政次、次男・玄蕃の他、4人の息子がいました。

嫡男・政次の子孫は、処刑されたため断絶していますが
他の兄弟の子孫は今も続いているようです。

少し、ホッとしますね。

 

 

まとめ

小野家は飛鳥時代より続く
皇別氏族の末裔で、名家です。

 

小野家が井伊家の家老になったのは、
井伊家に招かれたからだとも、
今川家からの指令があったからだともいわれています。

 

 

家老という重要なポストに代々仕えながら、なぜ?
小野政直・政次父子が2度に渡って井伊家を陥れた理由とは。

 

①小野家は実は今川家からスパイとして井伊家に送り込まれていた。

②井伊家の家老では満足できず、当主の座を奪いたかった。

 

加えて政次の場合は

①直虎に対する恋心もあったかもしれない。

②直親に対する嫉妬心や恨みもあったかもしれない。

 

なにぶん戦国時代のことゆえ
もっと複雑に絡み合う、
お家存続の問題があったのかもしれないですが・・・。

 

小野政直・政次父子の野望は、
後の天下の覇者・徳川家康により打ち砕かれます。

小野政次と息子は処刑され、嫡流は断絶しますが
小野政直の他の息子達の子孫は、生きのびます。

 

井伊家を断絶の危機にまで陥れた小野政直・政次ですが
子孫が生き延びたと聞くと、ホッとしますね。

では、本日も長文を最後までお読みいただき有難うございました。

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