堀田作兵衛の子はすえの夫・石合十蔵が守った!真田丸で壮絶な最期!

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NHK大河ドラマ真田丸が、ついに最終回をむかえてしまいました。

ドラマ「真田丸」の中の堀田作兵衛
幸村の初恋の女性・梅の兄として、
梅の死後は忘れ形見のすえを男で一つで養育する
心優しくも逞しい男性として描かれています。

 

そして真田丸のクライマックス・最終回では
幸村とともに、堂々と大阪夏の陣に命を懸けて戦い、壮絶な最期を遂げます。

その戦いぶりには感動しました!
キャストの藤本隆宏さんの演技が本当に素晴らしかったです!

史料では、堀田作兵衛には子供がいたということがわかっています。
そして、その子はすえちゃんの嫁ぎ先・石合十蔵の元で養育されたようなのです。

 

史料はあまり多くないですが、
私の空想も含めて(妄想注意!)お伝えしたいと思います。

 

 

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堀田作兵衛とは

堀田作兵衛は、堀田興重(ほった おきしげ)という名前です。

作兵衛(さくべえ)は、通称です。

 

生年月日は、何しろ400年以上前のことですから、不明です。

 

ただし、亡くなられた日だけは、はっきりしています。

なぜなら、真田幸村と同じ日、大阪夏の陣で亡くなっているからです。

慶長16年5月7日(1615年6月3日)

 

NHK大河ドラマ真田丸の最終回50話では、
幸村の前に立ちはだかり、銃弾の盾になって、
壮絶な戦いぶりを見せてくださいました。

 

本当に感動しました!

まだ観てないよ~~、とか
もう一度、あのセリフ、文章でも読んでみたいよ~~
って、おっしゃる方は、詳細あらすじ書いてます。

関連記事⇒真田丸最終回50話感想とあらすじ詳細!幸村・作兵衛・内記の最期!

もちろん、私の感想付き。(笑)

 

 

堀田作兵衛の家族

堀田作兵衛には、妹がいました。

大河ドラマ「真田丸」では、黒木華さんが「」という名前で演じられました。

 

とっても可愛らしくて、
でも、愛する人をゲットするために
策を弄するような、少し魔性の面を持つ
魅力的な女性でしたよね!

 

真田幸村(源次郎信繁)を愛し、また、幸村にとっても初恋の女性です。

相思相愛なんて羨ましい!

 

作兵衛の妹は、幸村の側室になり、
長女・すえ(すへ/阿菊ともいう)を産みます。

 

関連記事⇒真田幸村の初恋の人・梅とは?最初の子・阿菊の生涯はどうなったのか ?

 

梅は、もう一人女子を産み、
於市と名付けられたという記録もあります。

しかし、この於市は、高梨内記の娘が母であるという説もあります。

ドラマ「真田丸」で、高梨内記の娘といえば、きりちゃんですね!

 

400年前にタイムスリップして、
事の真相を明かしたい気分ですけど、こればっかりはね!

 

さらに、私にスピリチュアルな力があって、
過去を霊視できたら面白そうですけど・・・。

 

真実はこれだ!!

といえないところに、歴史の面白さと研究の意義があるのでしょうから。

そして、このすえちゃんを産んだ
堀田作兵衛の妹は、やはり亡くなっているようで
すえちゃんは、堀田作兵衛の養女として石合十蔵に嫁いでいます。

 

 

ドラマ「真田丸」でも、梅さんは第一次上田合戦の折に、亡くなっています。
関連記事⇒真田丸13話いざ決戦!昌幸の智謀炸裂と梅の最期!あらすじとネタバレ も!

 

 

 

堀田作兵衛には、妻もいますが、氏名などは不詳です。

 

大阪の陣の後、幸村の兄・信之の手で
上田へ身柄を移されたともいわれています。

 

大阪の陣が終結してからの信之は、
真田家存続のために、
家臣の中で、幸村を追って大阪城に入城した家臣たちの家族に対し、苛烈とも言える
処分をします。

 

これは、信之が弟・幸村と通じていたという
幕府の疑念を晴らすためにもやむを得なかった処置のようです。

 

 

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堀田作兵衛の子はすえちゃんの夫・石合十蔵が助けた!?

NHK大河ドラマ「真田丸」の最終回で、
幸村が最期を迎えようとした瞬間、
愛する妻や娘の未来の姿が浮かんでいましたよね!

 

 

その中に、堀田作兵衛が養育した、すえちゃんの姿もありました。

夫の石合十蔵と、とっても仲睦まじくお結びを食べていました。

あれって、本当に幸せそうだったですよね!

時空間を共にして、同じものを食べて、笑い合う。

人間に生まれて、こういうひと時が、一番の幸せではないかなって私は思います。

 

 

で、堀田作兵衛の子供ですが、名前はなんと、又兵衛!

 

どっかで聞いたことがるような・・・。
哀川翔さんのお顔が浮かぶ・・・。

 

あ、あれは後藤又兵衛でした。
潔良い人でしたよね。
あっ!また話が横っ飛び!

 

 

堀田作兵衛の子・又兵衛と、すえ(信繁の娘)が

幕府の詮議を受けたのは寛永16年(1639年)といわれています。

 

 

大阪夏の陣が終わり、落城してから18年後です。
徳川幕府は、ずいぶん長いこと戦技の手を緩めなかたものですね。

 

 

石合家は小県郡長久保宿で、大名向けの宿を営む地元の有力者でした。

 

商人ではありますが、博物館に
「石合家文書」が残っているほどですから裕福で、力があったのでしょう。

 

 

詮議を受け、すえの夫・石合十蔵は、村役人を引き連れて江戸藩邸に赴きます。

そして、

すえと結婚したのは、大阪の陣の前であること。

 

堀田作兵衛の嫡男を養育しているが、大阪の陣の後の出生である。

 

と堂々と申し開きをします。

 

これにより、幸村の長女・すえも、
作兵衛の嫡男・又兵衛も事なきを得ています。

 

 

もし、石合十蔵が小心者だったなら、
妻を離縁したり、又兵衛を幕府に突き出したりしていたかもしれません。

しかし、石合十蔵はそれをしなかったのです。

立派に、幸村と作兵衛の遺児を守り抜きました。

 

 

まったく幸村は、自身は武運拙く大阪の陣で討ち死にこそしますが、
妻子は生き延びていますから、運がいいですよね。

 

そういうものかもしれませんね、人生って。

 

石合十蔵は、大阪の陣で入城した幸村を心配し、書状を送っています。

それに対する幸村からの返書が、現代でも残っています。

 

その書状には、“くれぐれも、すえをお見捨てなきように”、と綴られています。

 

その幸村の願いどおり、石合十蔵は

最後の最後まで、すえも作兵衛の子のことも、見捨てることはありませんでした 。

 

 

すえちゃん、夫運が良かったですね!

関連記事⇒真田丸48話「引鉄」感想まとめ!幸村の書状はミックスバージョン?

 

関連記事⇒恒松祐里(つねまつゆり)真田丸ですえちゃんのキャストに!可愛い画 像も!

 

 

まとめ

堀田作兵衛は、大阪の陣で豊臣方に味方した真田幸村を追い、大阪城にいきます。

生まれた日が不明なので、享年はわかりませんが、
幸村と同じ日に大阪夏の陣で討ち死にしています。

 

大河ドラマ「真田丸」最終回での
堀田作兵衛の壮絶な最期は、涙なくしては観れません!

 

堀田作兵衛には、妻と嫡男・又兵衛。

そして、真田源次郎信繁(幸村)の側室となった妹がいました。

 

その妹は、真田源次郎信繁の長女・すえを産みますが堀田作兵衛の養女として育て
られています。

すえは、実父・幸村が大阪に入城する前に、石合十蔵に嫁ぎます。

すえが嫁いだ夫・石合十蔵は、義父・幸村を心配し手紙を送っています。

幸村はその返書に、すえに対する想いを書き残しています。

 

 

大阪落城から18年後、すえと作兵衛の子・又兵衛は、幕府より詮議を受けます。

しかし、石合十蔵が江戸藩邸できっちり申し開きをしたため事なきを得ています。

 

堀田作兵衛の子・又兵衛とすえを守ったのは、石合十蔵です。

では、本日も最後までお読みいただき有難うございました。

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