真田丸49話ネタバレ&あらすじ「前夜」!又兵衛、団右衛門、重成の討ち死、誉田の戦い!

sanadamaru49wataitoruyou

真田丸49話「前夜」のネタバレとあらすじをお伝えいたします。

真田丸49話では、お別れが続きます。

あの、場を賑わせていた団右衛門が討ち死にし、

又兵衛もまた徳川の策略に翻弄され命を落とします。

 

大阪城を尋ねてきた信之と信尹は、幸村と今生の別れとなります。

そして、きりちゃんも・・・

 

しかし、敗戦必至の大阪夏の陣でも、
誉田の戦いにおいて、真田幸村隊は奮戦します!

 

 

関連記事⇒真田丸48話ネタバレ&あらすじ「引鉄」!利休の土地から馬上筒!

 

Sponcored Link

真田丸49話ネタバレ&あらすじ「前夜」

 

 

軍議。大蔵卿局、幸村に叱られる!

大阪城の大広間では、軍議が開かれていました。

 

秀頼(中川大志)を中心に、大阪牢人五人衆、
大野治長(今井朋彦)ら豊臣の直臣、大蔵卿局(峯村リエ)が顔を揃えていました。

 

 

幸村(堺雅人)の考えは、
徳川勢の足並みが揃わないうちに一気に攻め崩そうというものでした。

 

 

それには、全軍の士気を高めるため、
秀頼公が伏見城に出て采配を振るうことを願い出ます。

 

 

ところが、秀頼の出陣に大反対する大蔵卿局が、
まだ間抜けなことを言い出し、幸村に叱責されます。

 

大蔵卿局

「あくまでも敵を迎え撃つのは大阪城」

幸村
「要害が出来上がっていれば、あり得たかもしれませぬ。
 それも間に合わぬ今、この城に執着するは愚策にござる。」

 

心の中では、「どこまでアホかいな。」

って思っていたでしょうけど、そこまでは流石 に・・・(笑)

 

幸村の辛辣な批判に、広間は静まり返りました。

 

 

しばらく沈黙が続いた後、後藤又兵衛(哀川翔)が口を開きます。

木村重成(白石隼也)、毛利勝永(岡本健一)の三人で考えた策があると言います。

 

絵図面を広げ、徳川勢は大軍であるため、必ず広い南口から攻めてくるに違いない。
したがって、われらは天王寺に兵を進め、この一帯を固めて迎え撃つ。
秀頼は城に居て、吉報を待てば良い。

 

 

そこへ、明石全登(小林顕作)と長宗我部盛親(阿南健治)が絵図面を見ながら言いま す。

城の東側と、背後からの攻撃に弱点がある、と。

 

そして、幸村が言います。

「平野川の堤をあちこちで切っておこう。さすればこのあたりは沼地同然。
 東からは城に近づくことができぬ。」

 

この作戦で合意し、皆が目と目で笑みを交わします。

大阪夏の陣の始まり、
それは、豊臣の終わりの始まりでもありました。

 

 

ここへ来て、漸く牢人衆と豊臣譜代家臣が一枚岩に成ってきました。

 

 

 

徳川家康の最後通牒

慶長20年(1615年)4月22日。

秀頼のもとに、家康から最後通牒とも言える書状が届いていました。

 

 

秀頼が大和郡山に移れば兵を引くという内容で、
牢人はもちろん連れて行くことができません。

 

今さら牢人を見捨てることなどできない秀頼公でした。

「徳川とはこれにて手切れといたす。」

秀頼公は、ゆっくりとその書状を破り捨てます。

 

 

又兵衛に調略の手が伸びる!団右衛門は討ち死に!

4月29日、樫井において、大野治房隊と、徳川の浅野勢が衝突しました。

これが、大阪夏の陣の始まりです。

 

この戦いで、団右衛門(小手伸也)が討ち死にします。

 

 

幸村と他の大阪牢人五人衆、木村重成は、
あの、大角与左衛門が居る厨で、戦略を練ります。

幸村は、まだ気づいていないのでしょうね。
大角与左衛門もまた、徳川の内通者だということを・・・。

関連記事⇒真田丸44話築城の感想まとめ!大角与左衛門は好々爺ではない!

 

幸村は、前と同じように家康本軍は大和路を通り河内へ入るルート。

秀忠軍は山の西側を通って東高野街道を進んで来ると予測します。

 

 

これにより道明寺付近で、家康勢に痛撃を与えようと作戦を立てます。

 

 

道明寺には、又兵衛と全登が出陣し、幸村と勝永は後詰めに回ることになりました。

もう一方の秀忠軍の進軍に対して、長宗我部盛親と木村重成が阻む。

 

 

慶長20年5月1日。
後藤又兵衛と明石全登は、道明寺近くの平野まで兵を進めました。

しかし、大角与左衛門が居る厨で語った作戦は、全て徳川方に漏れていたのでした。

 

 

家康は、大和路のルートを予定変更し、軍勢の統率を伊達政宗に任せました。

 

家康の懐刀・本多正信(近藤正臣)は、武勇名高い後藤又兵衛を調略しようとします。
僧侶を使者に立て、又兵衛の陣に出向かせ、播磨三十五万石で召し抱えたいと申し入れ ます。

もちろん、又兵衛はこの申し出を一蹴します。

 

しかし、正信の策略は、又兵衛が調略を受けるか否かではなく、
徳川の使者に又兵衛が会った、という事実が欲しかったのです。

 

 

報告を受けた正信は、早速このことを豊臣の陣に広めます。
しかも、又兵衛が調略に乗ったと噂を広めたのでした。

 

 

正信は、噂を聞いた又兵衛が躍起になり、噂を消そうと焦りだす。
大将が焦れば、陣は乱れる。

 

これが狙いだったのです。

さすが、古狸は違います!

 

 

信之・幸村兄弟、今生の別れ。

このシーン、一言一句、見逃せませんよ!!

 

大阪城の厨に、叔父・信尹と兄・信之がいました。

信尹は再び幸村を調略に来たと言い、

「信濃一国ではどうかと、大御所様が仰せだ。」

幸村はこの申し出を迷いもなく断ります。

信之はこれをみて、幸村が家康を道連れに死ぬつもりだと確信します。

 

 

そして・・・。

信之は幸村に、「死んではならぬ。」と言い、

「捕まれと申されますか。」と返す幸村に、

 

「そうじゃ。俺は今度もまた、必ずお前を助けてみせる。それが俺の使命だからな。」

 真田家のために敵味方となり、犬伏で別れた日、いつか晴れて酒を酌み交わそうと誓
 った・・・。

 俺はまだその約束を果たすつもりでいる。それを言いに来た。」

 

 

立ち上がった信之は、

「今生の別れではない!」

こう言い残し、振り返らずに厨を後にします。

 

 

信尹は、幸村の頬に手を当てて

「生きたいように生きれば良い。」

 

 

犬伏の別れが思い出されますね~~!

まだその時には、真田パパ(草刈正雄)も存命でした。

先週の真田丸48話のラストシーンは泣きました。

 

きっとまた、このシーン、ティッシュが要りますね!

関連記事⇒真田丸35話ネタバレ&あらすじ「犬伏」!家族・友・神との絆。

関連記事⇒真田丸35話「犬伏」感想まとめ!韓信と昌幸は似ている?確かに!

そして、この場面も、厨に居る大角与左衛門は見て・聞いていたのでしょうね。

 

 

 

後藤又兵衛、討ち死に!

sanadamaru49matabee
5月5日。
徳川勢は二手に別れ、河内平野を目指します。

 

伊達政宗らが率いる三万五千の軍勢は、道明寺へ向けて進軍します。
そこは、後藤又兵衛、明石全登が守っています。

 

徳川家康が率いる十三万の本隊は、
木村重成、長宗我部盛親らが守る八尾、若江方面へと進んでいました。

 

 

又兵衛が守る平野の陣では、
本多正信の目論見通り、又兵衛に対する良からぬ噂が飛び交っていました。

 

 

又兵衛にとっては、腸が煮えくり返る様な噂です。
又兵衛は、槍一筋、真っ直ぐな武将ですから!

 

その噂を耳にした幸村と勝永は、
又兵衛が短気を起こすのではないかと心配し、陣に顔を出しました。

 

 

戦は心が乱れたほうが負け、

幸村は釘を刺しますが、又兵衛の耳には届かなかったようです。

5月6日

夜明けとともに、又兵衛は槍を持って飛び出して行きました。

又兵衛の隊は先制攻撃を仕掛けます。
多勢を相手に勇敢に戦いますが、
伊達軍を主力とする徳川勢の猛反撃に遭い、又兵衛は討ち死にします。

 

 

幸村と勝永が待機する誉田の陣に
傷を追った全登が、又兵衛の討ち死にを報せに駆け込みます。

 

 

木村重成、討ち死に!

八尾・若江方面では、重成と盛親の部隊に
徳川の本隊十三万の軍勢が迫っていました。

 

重成達はまだ、又兵衛の隊が敗走したことを知りません。
ここで戦わなければ、又兵衛達が逃げ場を失いかねません。

木村重成は、盛親ともども、勝ち目のない戦に命を懸けて挑んでゆきました。

 

全ての策で、裏をかかれている状況に、
幸村もようやく、厨の内通者の存在に気づくようです。

大角与左衛門(樋浦勉)。

幸村にとっては、まさかの内通者だったでしょう。

 

 

信繁、伊達軍と激突!

政宗が率いる徳川勢は、誉田に進撃し
幸村や勝永たちに襲いかかります。

 

 

幸村達は激闘を繰り広げながら、大阪城へ退却してゆきます。

 

殿(しんがり)を務めたのは、幸村です。

 

 

後を追わない徳川勢に向かって、幸村の大音声が響きます。

「関東勢百万も候へ、男は一人もなく候」

悠々と馬を返してゆく幸村の姿を見ながら、

政宗は、敵ながらあっぱれと、感嘆の笑みを浮かべるのでした。

 

難波戦記には、この幸村の悠揚とした見事な殿りの様をみた東軍諸将から

真田がしんがりとしての退口、まことに思い切ったる有様、抜群の勇将である

と、評されたとあります。

 

城に戻った幸村は、佐助(藤井隆)を呼び、伊達への使いを命じます。

 

そして、春(松岡茉優)の部屋へ行き、
梅(大井菜々子)・大八とともに、伊達政宗を頼るようにと言いさとします。

 

 

幸村からの書状を手にした政宗は、春たちの保護を快諾しました。

 

 

きり、やっと幸村の胸に・・・。

幸村の要請で、城に残ったきり(長澤まさみ)でした。

 

幸村は、春達を見送った後、きりに用件を切り出します。

いざとなったら、千姫(永野芽郁)を連れて、秀忠の陣へ行くように、と。

きりはその後、沼田に帰れば良い、と。

 

 

しかし、きりは言います。

「いいえ、ここに戻ってきます。こうなったら、おかみ様とご一緒しますよ、最期まで 。
 源次郎様のいない世にいても、つまらないから」

次の瞬間、きりを抱き寄せる幸村。

sanadamaru49wayukimurakiri

 

 

最初で最後ですね。

二人のラブラブなシーンは・・・。

 

 

 

Sponsored Link

 

大阪夏の陣・後藤又兵衛、木村重成、塙 団右衛門討ち死に。誉田の戦いで一矢 報いる!

 

 

大阪夏の陣は、

4月26日、大和郡山の戦いで口火が切られました。

大野治房が大和郡山を焼き討ちして筒井定慶に勝利。

しかし、徳川方の松倉重政や奥田忠次が出撃し、
水野勝成の軍勢が迫っているとの報告を受け、大阪に引き上げていきます。

 

 

塙 団右衛門、討ち死に。

樫井の戦いで、大野治房の指揮下で
浅野長晟と対戦しています。

この時、一番槍の功名を争い、
普段から仲が悪かった先陣の岡部大学(則綱)と競い合って突出。

混戦の中、額に弓を受け落馬し、討ち死にします。

大名になる夢を描いていた賑やかな団右衛門。

享年は、48歳前後です。

 

後藤又兵衛、討ち死に

5月6日、後藤又兵衛は、小松山の戦いで命を落とします。

 

 

豊臣方は、奈良から大阪の平野部に出る地点で
徳川方を迎撃する予定でした。

 

ところがこの日は、生憎の濃霧。
諸隊の行軍が遅れ、又兵衛が戦場に到着した時には
迎撃予定地の国府村は、すでに徳川勢に占拠された後でした。

 

又兵衛は、小松山に僅かな手勢で陣取り、
味方の到着を待とうとしますが、戦機を逃してはならぬと打って出て、戦死します。

噂や、はやる気持ちだけで、戦を始めたわけではありません。

 

百戦錬磨、槍の又兵衛ですから!

見事、最期まで裏切ること無く
秀頼公に忠誠を尽くして、散りました。

 

木村重成討ち死に。最期は香を焚いて戦に挑んだ若武者

若江に着陣した木村重成は、藤堂高虎隊と戦います。

重成は、この戦いで藤堂良勝・良重を打ち取ります。

しかし、井伊直孝隊がこの戦いに加わり、戦況は一変します。

重成は、負けを悟り、敵陣に最期の突撃を仕掛け戦死しました。

 

 

重成の首実験で、検分した家康が、
頭髪に香が焚き込めてあるのに気づき、死を覚悟の戦いぶりに感嘆したといいます。

 

 

道明寺の戦い

壊滅した後藤隊を追い、道明寺には徳川軍が殺到します。

霧のため到着が遅れていた豊臣軍が、漸く戦場に到着し始めた頃でした。

ここで、薄田兼相が戦死します。

後続の、明石全登隊がかろうじて徳川軍の猛攻を防いでいるところでした。

 

ここに、伊達政宗の軍勢が現れます。

伊達勢は、道明寺の南側側へ進軍します。

伊達軍には、騎馬鉄砲といって、特別な隊があったといいます。

駿馬に乗った壮力の武者が、鉄砲を撃ちかけ撃ちかけ追っていき、
頃合いを見て一発撃ち、蹴散らし切り崩す、という特殊部隊です。

 

こりゃあ、強かったでしょうね~~!

 

しか~し、そこに到着したのが、真田幸村隊です!

 

誉田の戦い、豊臣方、一矢報いる!

立ちはだかる真田勢に、伊達勢は騎馬鉄砲隊を先頭に立たせての攻撃で挑みます!

 

幸村は、兵士らに冑と槍を従者に渡させて、次第に敵に近づきます。
そして、頃合いになると、

「冑をつけよ。」

と命じます。

 

そしてまた進み、頃合いになると今度は

「槍を取れ!」

と命じます。

 

少しずつ武器を装着することで、戦意は最高潮になります。

 

伊達の騎馬鉄砲隊の攻撃は凄まじく、
幸村勢は死傷者が続出したといいます。

 

しかし、幸村は兵たちを叱咤し、こらえさせます。

伊達勢が一発銃を撃ち、白煙の上から騎馬隊が乗りかけようとする刹那でした!

幸村の「かかれ!」の声を合図に、
折から伏せていた、真田兵たちの槍の穂先が、一斉に伊達鉄砲騎馬隊に襲いかかります!

 

馬は驚き、大混乱。

 

 

そこで真田兵たちは、一斉に立ち上がり
伊達勢に襲いかかったといいます。

 

 

この戦いで、伊達勢は大打撃を受け、押し返されることとなります。

そして、前述の見事な殿(しんがり)につながります。

 

 

 

まとめ

幸村が提案した要害が出来上がる前に、
徳川・豊臣は手切れとなります。

幸村達牢人衆、木村重成らは、絵図面を見ながら策戦を立ててゆきます。

今さら大蔵卿局など、出番はありません。

 

 

家康からの最後通牒といえる書状が来ました。

秀頼公に大和郡山へ移るよう命じた書状でした。

その書状を破り捨て、いよいよ豊臣は最後の戦いに向けて動き出します。

 

ところが、厨で繰り広げていた作戦会議の内容は、
内通者・大角与左衛門により、徳川方に知れていたのです。

 

 

さらに、又兵衛に忍び寄る調略の罠。

 

樫井の戦いで、団右衛門が討ち死に。

小松山の戦いで後藤又兵衛が討ち死に。

若江の戦いで木村重成が討ち死に。

 

 

豊臣方は奮戦しますが、次々に諸将が打ち取られてゆきます。

5月6日、幸村が命を落とす前日です。

 

 

道明寺の戦いで、南側から攻めてくる伊達軍に
立ちはだかったのは、真田幸村隊でした!

伊達軍の騎馬鉄砲隊を追いやり、見事な殿を務め、悠然と大阪に引き上げていきました 。

 

 

城へ帰った幸村は、春と子女を伊達政宗に託します。

政宗は快くこれを引き受けます。

 

 

そして、きりには最後の司令を与えます。

幸村はきりに、仕事を終えたら沼田へ帰るように言います。

 

しかし、きりは沼田へ帰ることを拒みます。

「源次郎様のいない世にいても、つまらないから。」

 

これは、最高の愛情表現ですね。

裏を返せば、貴方が生きていてくれるだけでいい。
見返りは求めてないよ。ってことですからね。

もうきりちゃん、サイッコーに、いい女!

さ、きりちゃんのまとめ記事作りましょっと!

 

では、本日も最後までお読み頂き有難うございました。

Sponsored Link

Sponsored Link

コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ