小野お通とは実在の人物か?真田信之や千姫との関係を紐解く!

 

小野お通は『お通流』といわれた当代きっての女流書家だったといわれています。

NHK大河ドラマ『真田丸』でも八木亜希子さんをキャストに登場することが決まりましたね!

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とにかく資料が少なく謎が多い小野お通(おののおつう)。

果たして、実在の人物だったのでしょうか?

さらに、真田丸に登場する限りは、真田家との関わりが深いに違いありません!

色々紐解いていく内に、千姫との関係もわかってきました。

本日は、小野お通とは、実在したのか?

真田信之との関係は?

千姫ともご縁があった?

これらについてまとめます。

 

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小野お通とは、実在の人物なの?

小野お通は、『お通流』と謳われるほどの書の名人でもありました。

しかし、それだけではなく、詩歌・琴などにも優れた才能を発揮した戦国随一の才女でした。

 

 

生年は1568年(永禄10年)頃といわれています。

織田信長の家臣・小野政秀の娘といわれています。

父・小野政秀が永禄10年(1567年)六条河原の合戦で亡くなります。

 

まだ、乳飲み子だった小野のお通は、織田信長の庇護を受け育ちます。

九条稙通に和歌の手ほどきを受けるなど、

当時としては最高水準の教育を受けることができたようです。

 

特に“寛永の三筆”と謳われた

書の大家・近衛信尹(このえのぶただ)とは

年齢も近く、幼い時から信長の元で庇護されて育ち、ともに研鑽を積んだようです。

 

恋人だったのでは?

ともいわれていますが、その部分は謎です。

 

才気に溢れ、美しく成長した小野お通は、

豊臣秀吉の正室・寧々に仕えたともいわれています。

 

大河ドラマ「真田丸」では、

北政所様の元侍女という設定で

第38話(9月25日放送分)から登場します。

演じるのは、八木亜希子さんです。

 

 

豊富秀次の家人・塩川志摩守(塩川伯耆守という説もある)の妻となり一女を設けたとされていま す。

この娘・小野宗鑑尼(小野図子・おののつうこ)が、

後に真田信之の次男・信政(幼名・百助)の側室になります。

 

 

そして、長男・真田信就(真田勘解由家の祖)を産みます。

小松姫の子・百助です!

関連記事⇒小松姫・真田信幸の正室は容姿端麗で賢夫人!真田丸のキャストは吉田羊。

 

 

夫は、酒乱だったため離別したとも、

合戦で亡くなったともいわれています。

その後に東福門院や新上東門院に仕えたともいわれています。

宮中にも仕えていたのですね!

人となりも優れていたのでしょう。

 

 

「浄瑠璃姫物語」の作者ではないかと伝わっていましたが、これに関しても諸説あります。

○作者は架空の人物

○複数の人物の手によるもの

 

江戸時代後期になって、「浄瑠璃姫物語」が

小野お通の時代より以前に流行していたことがわかってきたためです。

 

 

とても謎が多く、没年も不確かなのですが、

真田勘解由家に伝わる資料から、実在の人物であることは確かです。

 

ただ、真田信之から小野お通に宛てた手紙に

松代藩への国替えを嘆く文面が記されていたため

江戸時代は表に出さなかったようです。

明治になって初めて公開され、実在の人物であることが確認されています。

 

小野お通は晩年、宗鑑尼・図子を頼ったといわれています。

 

没年は、元和2年(1616年)3月5日、享年58歳という説と

寛永8年(1631年)10月、享年65歳の説があります。

 

しかし、真田信之が小野お通に手紙を宛てたのが

松代藩移封後ですから、寛永8年・65歳で没したと考えるのが妥当でしょう。

 

墓所は、真田家ゆかりの広徳寺にあるそうです。

 

 

 

小野お通は真田信之とどんな関係だったのか?

小野お通と真田信之の出逢い

真田信之と小野お通が出逢ったのは

信幸が昌幸とともに上洛し、

秀吉に謁見した天正15年(1587年)の頃ではないかといわれています。

 

北政所や淀殿茶々様にも

書の手ほどきをしていたといわれていますから、あながち間違ってはいないかもです。

 

 

初めて上洛した信之の目に、

一流の女流文化人・小野お通はどのように映ったでしょう。

 

きっと、

「このような女人もいるのだ。」

と感激し、一度でファンになったのではないでしょうか?

 

信之が20歳そこそこの出来事ですから、縁は結構長く続きます。

 

 

大阪の冬の陣の後、信繁と信之の再会の場を作る

元和元年(1615年)2月

京都東山にある小野お通屋敷で信之と信繁は約15年ぶりの再会を果たします!

 

 

大阪冬の陣は講和となりましたが、また戦となるであろうことは誰の目にも明らかでした。

 

徳川家康は、「真田丸」での信繁の活躍を目にして、

「真田昌幸以上かも!」

と、肝を冷やしたに違いありません!

 

 

信之・信繁の伯父・真田信尹を通じ

信繁に書状を送り徳川に付くように説得していました。

 

 

しかし、信繁はこれを拒否し続けます。

そこで、家康は小野お通に頼み、信之から信繁を説得させるために再会の場を作ってもらったのでした。

 

 

信之は、信繁に逢う前から、

例え自分が説得しても、心を変える弟・信繁ではないことは承知の上で再会します。

これが今生の別れとなります。

 

 

別れることは寂しいけれど、

戦国武将として最期の花を咲かせようとしている弟・信繁を見て、ある意味誇らしかったのではな いでしょうか?

あ、これはあくまでも、管理人の推測です。

 

後日信之は、徳川秀忠にこの京都での兄弟の再会を咎められることになります。

しかし小野お通が、家康から信之・信繁兄弟の再会を依頼する書状を残していたため、難を逃れます。

 

信之と小野お通の関係は、側室?それとも恋人?

池波正太郎さんの著書・真田太平記では

大阪夏の陣で信繁が討ち死にした後、

小野お通が信繁の遺髪を信之に届ける、という下りがあります。

 

 

信之と小野お通の関係は、

“男女”というより、まるで戦友のような、と思われませんか?

 

戦国の世に、男女の別はあっても

お互いの才と人柄を認め合い、心を通わせていた。

だからこそ、後に信之の息子に、小野お通の娘が嫁ぐというご縁も生まれたのでしょう。

 

 

信之の正室・小松姫も、小野お通のことは承知していて

「そろそろ、京のお方をお呼びになってはいかがですか?」

と、暗に側室に迎えるようにと勧めたと伝わっています。

 

 

しかし、信之が小野お通を側室にしたというような資料はどこにも残っていません。

 

 

ただ、先にも触れましたが

真田勘解由家に、小野お通が受け取った手紙や

書画などが現存していたようで、

真田淑子(さなだ よしこ)著・「小野お通」(風景社)の中で紹介されているそうです。

 

 

信之の手紙には、

松代に国替えになる事を嘆いたもの、

松城の領地には、善光寺などの名所があることを記し、京に居る小野お通に宛てているようです。

手紙は読んだら焼き捨てるように伝えていたようですが、小野お通は大切にしていたのでしょう。

 

 

 

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徳川家康の孫・千姫と小野お通の関係は?

豊臣秀次の家人と結婚しているくらいですから

豊臣家とも深い繋がりがあったようですが、

特に、淀殿茶々様から気に入られたようです。

関連記事⇒淀殿茶々様の生涯と性格は?北政所との関係や秀頼の父親が誰か考察した!

 

 

元々、織田信長の庇護を受けて育ちましたし、

茶々様にも仕えていたという説もあるようですから。

 

徳川家康の孫娘・千姫が豊臣秀頼の元に興し入れの際に

介添え役を努め、嫁入り支度から全て采配したのが小野お通といわれています。

 

 

この見事な仕事ぶりに、淀殿茶々様と徳川家康が感服し、

婚礼後も、侍女たちの教育係として、豊臣家に出入りを許されていたようです。

 

 

千姫様お輿入れの様子は、たいそう評判を呼び、

そのセンスの良さは、口コミで広がったようです。

お道具一つにしても、小野お通さんが良いといえば高値が付いたといいます。

 

 

家康からは、小大名並みの化粧料を頂いていたそうです。

 

 

しかし、慶長19年~20年(1614~1615年)の

大阪の陣で、千姫を大阪城から脱出させようとして

淀殿茶々様から内通を疑われ、大阪城を追放されています。

 

 

千姫は、淀殿茶々様にとっては、嫁でもありますが、姪でもあります。

しかし、戦国の世では、人質同然ですから、致し方ないですね。

 

 

小野お通は、徳川秀忠のもう一人の娘・和子が入内するときにも介添えをしています。

 

まとめ

小野お通は、生没年も明確でないほど

資料が少ないのですが、実在の人物であることが近年になってわかりました。

真田勘解由家に残る、小野お通が受け取った信之からの手紙や、書画がそれを裏付けています。

 

父が戦死した後、織田信長の庇護を受け、当代一流の教養を身に着けます。

「お通流」と謳われる書の名人で、詩歌や琴、茶道にも秀でた戦国一の才女でした。

 

 

塩川志摩守と結婚し、小野図子(小野宗鑑尼)を産みます。

 

真田信之とは信之が父・昌幸とともに上洛した折に出逢ったらしいです。

 

信之と小野お通の関係はずっと続き

大阪冬の陣の後、信之・信繁兄弟の再会を設定しています。

そして、このことを信之が幕府に咎められると、家康の書状を表に出し、信之を救っています。

 

大阪夏の陣の後には、信繁の遺髪を信之に届けたりしています。

信之の心を癒やす女性ですよね!

側室ではないようです。

 

 

小野お通は、徳川家康・秀忠からの信頼も篤く

千姫の輿入れの介添を見事に果たした後に、

和子の入内にも介添えをしています。

 

晩年は、宗鑑尼を頼り、墓所は真田家ゆかりの広徳寺にあります。

 

大河ドラマ「真田丸」には、9月25日放送分から

八木亜希子さんがキャストで小野お通が登場します。

 

どのように演じてくださるのか、楽しみですね!

では本日も最後までお読みいただきありがとうございました!

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