第二次上田合戦、真田家同士討ちの危機!表裏比興の昌幸と信繁の機転!

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引用元:http://www2u.biglobe.ne.jp/~sanada/sanada/sanada/u…

 

慶長5年(1600年)会津討伐に向かっていた徳川家康は三成挙兵の報を受け急遽西へ取って返します。

一方の真田家は、犬伏で昌幸・信幸・信繁が激論を交わします。

世に言われる「犬伏の別れ」です。

 

 

結局、真田昌幸・信繁は西軍・三成方

信幸は東軍・家康方と袂を分かち戦うことになりました。

真田家は、昌幸と信繁対信幸という家中を二分した同士討ちの危機!

 

さあ、どうする真田家!

第一次上田合戦の雪辱を果たすべく

3万8000の秀忠軍が上田城に攻めかかります。

同士討ちを避けるべく、真田家に活路はあるのか!?

 

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第二次上田合戦、真田家真っ二つ!同士討ちの危機!

 

家康は、軍を二手に分けました。

 

江戸を経て東海道を進む家康本軍と

中山道を通過する3万8000の秀忠軍です。

 

家康は、秀忠に真田昌幸の成敗を命じます!

 

中山道を進む秀忠軍の行く手には

第一次上田合戦で辛酸をなめさせられた上田城があります。

 

さあ、第二次上田合戦が始まります。

 

 

真田昌幸、「表裏比興」。まんまと秀忠を騙す!

 

真田昌幸は、音に聞こえた『表裏比興』の者!

“食わせ物”で油断がならない事を言いますが、

戦国時代においては褒め言葉です。

 

第一次上田合戦で、さんざんな目にあったはずの徳川軍。

なのに、また昌幸の表裏比興ぶりに

やられてしまいます!

秀忠は上田城に籠る昌幸に降伏勧告の使者を送ります。

戦わずして、上田城を落とせたら

これほど良いことはありません。

 

しかし、これには、他説があり、

実は昌幸の方から剃髪し、

「我に利なし」

として、降伏を申し出たともいわれています。

 

どちらかというと、昌幸の方から降伏を

申し出たという方が正しいと思います。

 

何しろ秀忠は、3万8000の大軍。

 

迎え撃つ真田勢は、

真田の郷の百姓を駆り出しても、2500~3000です!

 

 

秀忠は、今回こそ真田家を殲滅するよう、

家康に命じられてきているのですから。

 

 

普通の戦法では、真田勢、木端微塵!

 

 

この降伏願いを受けて、

両者は信濃国分寺で、会談を行います。

 

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引用元http://4travel.jp/travelogue/11028775

 

 

秀忠が小諸に到着したのが、9月2日。

翌9月3日に真田昌幸が秀忠に降伏を申し入れ、

秀忠はこれを受けて、9月4日に会談を行います。

 

この会談で、昌幸が抗議をして、

席を蹴ったことが史実として残っています。

たぶん、秀忠を挑発したのでしょう。

昌幸

「そのような降伏条件は言語道断!この数日で、戦支度も整い申した。

 小国ながらこの真田、御戦、受けて立ち申そう!」

くらい言ったでしょうか?推測ですが!

 

そして、秀忠はこれに激怒したといいます。

 

 

降伏すると見せかけて、実は戦の準備!

そうです、秀忠はまんまと昌幸に騙されたのです。

 

脇が甘い!秀忠!(笑)初陣ですから・・・。

 

この数日間で表裏比興といわれた

戦国一の軍略家・真田昌幸は一計を案じていました!

 

 

真田信幸VS信繁!同士討ちの危機を信繁の機転が救う!

犬伏の会談で、お互いに袂を分かつ決心をするまで、

真田家は堅い絆で結ばれていました。

それは、主従共にです。

親子・兄弟同士が戦うことはできれば避けたい双方でした。

しかし、徳川家内部では

にわかに徳川家に付いた真田信幸を

心の底から信頼していたわけではありません。

 

そこで、徳川秀忠は、

弟・信繁が守る砥石城を、兄の信幸に攻めさせます!

真田信幸が実の弟・信繁を

本気で攻めるかどうかを試すためと

万が一にも信幸の裏切りを考え、

上田城攻めから遠ざけたのでは?といわれています。

 

 

砥石城に押し寄せる徳川軍の総大将は兄・信幸!

ある意味これは同士討ちの危機!

 

これを知った時の信繁は、どんな気持ちだったでしょう!?

『離ればなれでも、真田は一つ』

ドラマの中ではありますが、

ババ様・とりの名言であります。

 

ここで、真田信繁は一計を案じます。

とにかくいつでも危機に晒された時ほど機転が利く信繁でした!

 

何としても、真田家同士、同士討ちは避けたい信繁!

家臣たちも同じ気持ちだったに違いありません!

 

何と、信繁は兄・信幸と刀を交えることなく上田城に引き上げます!

 

戦わずして、とっとと上田城へ引き上げたのです。

 

 

砥石城で勝鬨を挙げる、兄・信幸!

 

これにより、同士討ちは避けられ、

信幸に対する秀忠の信頼も高まります。

さらに、砥石城に信之たちの軍勢が駐屯することで

上田城を攻める秀忠本隊の軍勢の数を

減らすことができました!

 

一挙両得!

両軍の真田勢は、見事に同士討ちを回避できました!

 

 

まだある、昌幸の表裏比興ぶり!

「しめしめ、砥石城はわが徳川のものじゃ!ウッシッシ」

と言ったかどうかは知りませんが、

秀忠は砥石城を真田信幸に任せ、上田本城を攻め始めます!

作戦は、『苅田戦法』!

 

たわわに実った稲を刈ることで、

城内の兵は黙って見ていられなくなります!

実った米が無くなれば、兵糧に事欠き、

さらには来年の食料にも窮します!

腹が減っては戦はできません!

 

 

9月8日、牧野康成率いる手勢が、上田城下の稲刈りを始めます。

これを見た真田勢数百人が、

これを阻止しようと、城から打って出ます!

 

 

秀忠

「フッフッフ!引っかかったな、真田メ」

と言ったかどうかは知りません。

 

秀忠の狙い通りでした!

飛び出してきた真田勢数百に、後詰めの本多忠政隊が襲い掛かります!

 

真田勢は敗走し、上田城へ逃げようとします!

これを、酒井・牧野・本多の各隊が追撃します!

真田勢を追う兵たちは、徳川旗本の精鋭たちです。

 

 

昌幸

「フッフッフ!引っかかったな、秀忠メ」

たぶん、言った事でしょう!想像がつきます!

 

ここまで、全部昌幸の目論み通り!

韓信もビックリの、『逆さ苅田戦法(たった今、管理人が付けました)』!

関連記事⇒真田丸35話「犬伏」感想まとめ!韓信と昌幸は似ている?確かに!

 

 

敗走した真田勢を追い、

徳川の精鋭部隊が上田城の大手門前まで迫ります。

その時!

ガガーッ!!上田城の門が開きます。

門の向こうには、真田の鉄砲隊!

 

追って来た酒井・牧野・本多勢は、

真田の一斉射撃の餌食となりました。

 

さらに城内からは、鉄矢の雨あられ!

 

悲惨~~!阿鼻叫喚~~!

嫌ですね~~戦は!

 

 

もう大混乱の中、逃走する徳川勢!

しかし、先鋒が撤退しようとしても、

後方からの自軍の軍勢と鉢合わせです。

 

押し返して、上田城内に侵入すれば

中は迷路のように複雑で、真田の鉄砲隊の餌食になる。

 

 

徳川勢は進むことも引くことも出来ず、

大混乱の中、城内から打って出た真田勢に

討ち取られていきました。

 

 

上田城戦では、真田勢の一方的な勝利です。

 

でも、第一次上田合戦を思い出してください、皆様!

真田安房守昌幸が、これくらいで手を緩めると思われます?

ですよねぇ~~。

真田信繁の出番です!

 

機転を利かせて、兄・信幸に手柄を挙げさせた信繁。

次はお家芸の奇襲作戦です!

上田城攻めの前日、夜陰に紛れ

染谷台の北東に潜んでいた真田信繁隊200。

 

秀忠本陣に奇襲をかけます。

 

一斉に鉄砲を浴びせられた秀忠は、

家臣に馬を与えられ、小諸へと逃れます。

 

と同時に、昌幸は塞き止めていた神川を

信繁の合図と共に放流します!

 

あれ!?

第一次上田合戦でも、同じような作戦がありましたよね!

 

真田勢に追われた徳川勢は、

濁流となって押し寄せる神川の流れに飲み込まれていきました。

関連記事⇒真田丸13話いざ、決戦!昌幸の智謀炸裂と梅の最期!

第二次上田合戦も、真田方の大勝利に終わります。

 

『列祖成蹟』は、この時の徳川方の損害をこう綴っています。

「我が軍大いに敗れ、死傷算なし」

計算できないくらいの甚大な被害を被ったのでしょう。

 

 

秀忠、関ヶ原へ向かう!

想像以上に手強い上田城・真田勢に

肝を冷やされっぱなしの秀忠は、

全軍を一旦小諸城に引き上げにさせます。

9月9日のことでした。

 

そこへ、家康からの使者が到着します。

当初、真田昌幸・信繁父子の殲滅を命じていた家康です。

しかし、使者の書状には、

「9月9日までに、美濃赤坂へ着陣すべし。」

って、それ今日じゃない?

 

利根川の増水で、使者の到着が遅れたためでした。

秀忠は、上田城に押さえの兵を残し、

急ぎ関ヶ原へ向かいます。

 

ところが、道中の悪天候もあり、

ついには9月15日の関ケ原の合戦本戦には間に合いませんでした。

 

 

なので、真田から足止めをされて

関ヶ原の戦いに遅参した訳ではなく、

秀忠は最初は真田を攻略する目的で戦っていたのです。

 

 

ただ、家康の命令が急遽変更になったのですが、

天候不良で使者の到着が予想以上に遅れてしまった。

 

さらに、その後の悪天候でついに秀忠は

関ヶ原本線には間に合わなかった。

というのが最近の有力な説になっています。

 

 

 

もしそのまま秀忠軍が

真田勢と戦い続けていたら、

大軍を擁する秀忠軍が

真田を打ち破っていただろう、といわれています。

そうですかしら?

 

 

もし、戦が長引けば

徳川勢は真田勢から、

再起不能なくらいのダメージを受けていたやもしれません!

 

だって、たかだか数日の戦いで、

旗本精鋭部隊が打ち砕かれ、損害を計算出来ないほどですよ!

 

 

さらに、昼夜を問わない奇襲攻撃で

兵は疲労し、脱走する兵もいるかもしれません。

そうなると、後の二代将軍・秀忠は、無かったかもしれませんよね~~!

 

 

第二次上田合戦戦後処理。

第二次上田合戦は、真田の大勝に終わります。

第一次上田合戦でも、さんざんな目に遭い、

「真田憎し」

の気持ちは、家康・秀忠父子の胸に刻み込まれていた事でしょう!

 

本戦の関ヶ原の戦いで、

西軍・石田三成が敗れたため、

真田昌幸・信繁父子は、敗者となりました。

 

処分は「死罪」

 

これを知った信幸は、

すぐさま父・弟を救うべく行動を起こします。

関ヶ原の戦い後、信幸には破格の恩賞が約束されていました。

本領安堵、その上加増され、

上田藩十一万石の加増でした。

 

 

しかし、この恩賞に代えても、と

昌幸と信繁の助命を願い出ます。

 

正室・小松殿、小松殿の父・本多忠勝も

信幸と共に助命嘆願をします。

有り難いことですよね。

「日本一怖い舅」なんて、

信幸は真田丸では言ってましたけれど、

頼りになります。

 

さらには、井伊直政にも取り成しを頼みます。

徳川四天王といわれた重臣たちからの口添えに、家康も折れます。

 

昌幸・信繁父子は、死一等を免じられ紀州・高野山へ配流となります。

犬伏の別れで信幸が誓ったことは守られました!

 

 

まとめ

戦国一の軍略家・真田昌幸。

秀吉も、表裏比興の者といい、

その才を認めていました。

 

 

第二次上田合戦。

第一次上田合戦の雪辱を果たすために

秀忠軍・3万8000の大軍が押し寄せます。

 

 

さっそく、昌幸の表裏比興ぶりが炸裂です!

 

降伏すると見せかけて、日にちを稼ぎ、

その間に戦支度を着々と進めていたのです。

 

一方秀忠軍は、真田昌幸の嫡男・信幸を

弟・信繁が守る砥石城へ向かわせます。

 

このままでは、兄弟が血で血を洗う同士討ちの危機!

 

ここで、信繁の機転が同士討ちの危機を回避させます。

 

さっさと砥石城を捨てた信繁は

兄・信幸とは戦いませんでした。

 

 

その代わりに、伏兵の奇襲部隊として、秀忠本陣を狙います!

 

 

秀忠が取った戦法は「苅田戦法」

 

上田城周辺の稲刈りを行い、

慌てて出てきた真田兵を打ち取る戦法でした。

 

しかし、昌幸はこの戦法を逆手に取り、

城門まで徳川勢を引きつけておき、

城に入ったならば、袋のネズミ状態にして

鉄砲を打ちかけました。

 

 

さらに、敗走兵に堰き止めていた神川の水を放流し、濁流をお見舞いしたのです。

 

 

さらに伏兵として隠れていた信繁隊は

秀忠本陣を攻撃するというお家芸の奇襲作戦!

 

 

これでは、第一次上田合戦の雪辱どころか、

第一次上田合戦の再現です。

 

こうして見事、真田家は

同士討ちすることなく、

再び徳川勢を打ち破りました!

 

 

 

甚大な被害を出し、

上田城を攻めあぐねていた秀忠のもとに

家康から急遽関ヶ原へ向かうようにとの命令が出ます。

 

 

秀忠は上田城攻略を中止し、

一路、関ヶ原へと進むことになりました。

しかし、悪天候の中、秀忠は結局、

関ヶ原の戦いには間に合いませんでした。

 

 

第二次上田合戦で勝利を収めた真田家。

 

しかし、肝心要の関が原本戦で、西軍が敗れてしまいます。

戦後、真田昌幸・信繁に下った処分は死罪でした。

 

これに対し、信幸は必死で助命嘆願します。

恩賞に変えてもという覚悟で望み、

正室・小松姫やその父・本多忠勝、

徳川重臣の井伊直政らの助力を借りて、

なんとか死罪は免れることができたのです。

 

 

信幸はこの後、名を信之と改めます。

 

昌幸と同じ幸という文字を名前に使うことを

憚ったといわれています。

 

では、本日も最後までお読みいただき有難うございました。

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