豪姫と宇喜多秀家、戦国一の夫婦愛!逃亡中に密会し400年後に八丈島で再会

「戦国の貴公子」といわれたイケメン宇喜多秀家と、前田利家の四女で天下人・豊臣秀吉の養女・豪姫は、戦国一の華麗なる夫婦となります。

しかし、運命は過酷にも二人を引き離してしまいます。

住む場所は別々でも、心は共に。

二人は終生変わらぬ愛情を持って生きていきます。

 

 

 

本日は、天下人・豊臣秀吉の命令で結婚しますが、心の底から愛し合った戦国一の夫婦・宇喜多秀家と豪姫のことをまとめました。

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豪姫とは

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豪姫は天正2年(1574年)、前田利家とまつ(芳春院)の四女として生まれます。

幼少の頃に、羽柴秀吉と寧々夫婦の元に養子に出されます。

 

秀吉と寧々、利家とまつ夫婦は、元々織田家家臣だった頃から、隣同士に住んでいて、とっても仲が良かったのです。

 

父の利家が、秀吉との絆を深めるために、実子が無かった秀吉夫妻に、豪姫を譲ったのです。

 

豪姫は秀吉・寧々夫妻にとって、「親友の子」ですから、溺愛されたことは想像に難くないですね!

 

非常に聡明で美貌だったと言われています。

 

映画では宮沢りえさんが演じられましたよね!

 

こんな感じだったのでは?

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秀吉が豪姫をいかに溺愛していたかを記す史料が残っています。

ある日、病弱で出産の度に大病をする豪姫に、『狐が憑いている』と言われます。

 

 

秀吉は伏見稲荷に書状を送ります。

 

「豪姫にもしものことがあれば、全国の稲荷神社を破棄する」

 

と伝えています。

狐狩りもの文書も残っています。

豪姫は「太閤秘蔵の子」として育ち、秀吉の手紙には

「豪姫が男だったなら関白の位につけたい」と書かれたものが現存しています。

 

 

これ程かわいがっていた子を嫁がせた相手は、やはり秀吉が寵愛していた宇喜多秀家でした。

宇喜多秀家に関してはコチラの記事をご覧下さい。
       ↓
宇喜多秀家はお家騒動が元で関ヶ原で敗れ八丈島へ流刑に!子孫はどうなった?

 

 

宇喜多秀家の母・福は、驚くほどの美貌の持ち主で、秀家の父・秀直亡き後30歳を超えてなお美貌は衰えず、秀吉の側室になっています。

したがって、その子供の秀家もさぞイケメンだっただろうと思います。

画を見て肖像も、他の方々とは一線を隔してますよね!

 

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身長も高く、美丈夫だったようです。

豪姫が宇喜多秀家に嫁いだのは、天正16年(1588年)

「備前御方」、「南御方」と呼ばれます。

 

 

夫婦仲はとても良く、暮しぶりは豪奢で、鷹狩や能などを楽しんだと言われています。

秀高、秀継、理松院、先勝院を生みます。

 

関ケ原の合戦で敗北し、過酷な運命が!

 

このあたりも、関連記事でお伝えしていますので、ご参照頂ければ幸いです。

宇喜多家は、関ケ原の合戦の前年に起こったお家騒動により、優秀な家臣団が追放されたため、軍事力は衰退していました。

 

そんな時に起こった合戦です。

さらに、豊臣一門の小早川秀秋の裏切りもあり、秀家が与する西軍は一日で徳川家康率いる東軍に敗れ去ります。
関連記事⇒小早川秀秋は大谷吉継の呪いが死因?関ヶ原での裏切りは想定内だった!488

 

戦後、宇喜多家は改易され、豪姫は金沢に戻されることになります。

 

秀家は、一時薩摩藩に潜伏し、島津氏に匿われます。

しかし、慶長11年(1606年)関ヶ原から6年後に、二人の息子と共に八丈島へ流刑となります。

 

 

死罪を免れたのは、豪姫の兄・前田家当主・前田利長及び島津忠恒の助命胆願があってのことでした。

 

 

 

宇喜多秀家は関ヶ原から逃亡中、豪姫と密会す!戦国一の夫婦愛!

関ケ原の合戦で敗れた秀家は、薩摩の島津義弘を頼り船で薩摩へ向かおうとしました。

その際、大阪の備前屋敷に寄り、豪姫と密会します。

数日間を過ごしたと言われていますが、その時にできた子が後に伏見宮貞清親王妃となる冨利姫です。

 

 

なんてロマンティックな!

 

 

金沢に戻った豪姫は、化粧料1500石を与えられます。

再婚することはなく、終生秀家に賂を送り続けたと言います。

寛永11年5月23日(1634年6月18日)金沢城鶴の丸で亡くなります。

 

享年61歳でした。

 

宇喜多秀家は、豪姫亡きあと21年もの長きに渡り八丈島で生き続けます。

普通、「水汲み女」などといわれる「現地妻」のような女人を置くことが多いようですが、秀家に関してはそのような記録はないそうです。

お互いに、唯一無二の相手だったのでしょうね!

 

 

これぞ戦国一の夫婦愛!

 

豪姫も、秀家も備前屋敷での逢瀬が今生の別れとなりました。

切なすぎますね。

 

 

豪姫・秀家、400年の時を越え今は八丈島に!

 

 

秀家と豪姫、今は仲良く八丈島で並んでいます。

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場所:東京都八丈島南原海岸

アクセス:八丈島空港から車で10分

 

 

平成9年、宇喜多秀家が岡山城を築いて400年という節目の年に記念して作られたものです。

二人は八丈島で共に暮らすことはできませんでしたが、今はこんなに仲良く並んで座っています。

 

太平洋を望む風光明媚なこの場所で、今は手に手を取って子孫の繁栄を願っているでしょうね。

 

400年記念行事には、宇喜多秀家の末裔も招待されたということです。

 

子孫についても、関連記事をご覧ください。

関連記事⇒宇喜多秀家はお家騒動が元で関ヶ原で敗れ八丈島へ流刑に!子孫はどうなった?

 

まとめ

豪姫は前田利家とまつの間に生まれます。

幼い頃に羽柴秀吉・寧々夫婦の元に養女に出され、溺愛されます。

その後、15歳で戦国の貴公子と謳われたイケメン、宇喜多秀家の元に嫁ぎます。

 

二人の結婚生活はそれは幸せなものでしたが、関ケ原の合戦で引き離されてしまいます。

秀家は、薩摩へ落ち延びる前に、豪姫と密会します。

 

しかし、最愛の夫・秀家は息子と共に八丈島へ流刑となってしまいます。

 

 

八丈島での暮らしは窮乏を極めましたが、豪姫や豪姫の実家、加賀前田家からの支援は赦免されるその日まで続きます。

 

豪姫と秀家は二度と逢うことは叶いませんでしたが、約400年後の2009年に太平洋を望む場所に記念碑が建てられました。

 

 

漸く逢えました。

 

戦国一の強い愛情と絆で結ばれていた豪姫と秀家は、今は静かに仲良く八丈島で座っています。

では、本日も最後までご覧いただき有難うございました。

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