真田丸【大河】上杉景勝の人物像や時代背景を追う!キャストは遠藤憲一!

NHK大河ドラマ真田丸5話では、

本能寺の変で織田信長が討たれ、

せっかく臣従を取り付けた真田家は

またも窮地に立たされることとなりました。

そして、真田昌幸(草刈正雄)が

次に服属しようと考えていたのは

上杉家でした。

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http://tetsutyler-durden.hatenablog.com/entry/2016…

ところが、この時代

上杉家は度重なる織田の攻撃により、

瀕死の状態だったのです!

しかし、上杉家も真田家同様、

ちゃっかり幕末まで

存続しますからね!

大したもんです。

 

 

真田昌幸は、智謀で真田家を守りますが、

上杉家は人徳でお家を守り抜きます。

 

本日は、【大河ドラマ】真田丸でも

最終回まで登場することになるであろう

上杉景勝(遠藤憲一)の人物像

なぜ、真田家の窮地を助けることが

できなかったのか、

時代背景を踏まえながらお伝えします。

 

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大河ドラマ真田丸で上杉景勝を演じるのは遠藤憲一さん!

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http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/new…

プロフィール

生年月日 : 1961年6月28日生まれ

出身地  : 東京都

デビュー作: 1983年NHKドラマ「壬生の恋歌」

 

最近では、ドラマ「民王」で、菅田将生さんと

親子役をしていましたね!

三谷幸喜さんの作品には欠かせない俳優さん

ですよね!

 

 

お顔はごっついですけど、

それがまた個性になって、

ヤクザの親分さんから、

人情味のあるおじさんまで、

どんな役でも

自分なりの味を出して演じておられます。

 

 

この度の大河ドラマでは、

上杉景勝を演じますが、

景勝も、一国一城の主になるまでには

相当なご苦労があります。

上杉景勝を演じること、遠藤憲一さんの抱負

上杉景勝は、父・謙信の

「義に徹する」という精神を

受け継ぎます。

「真田丸」で、この役柄を

演じるにあたり、

 

上杉景勝は、真田信繁の知恵や

行動力に影響を受けるが、

二人の共通点は、

‟心のまっすぐさ”だと言っています。

そして、視聴者の方に、

毎回何かを残すような演技がしたい、と

抱負を語っておられます。

真田丸【大河】5話以降は、

度々登場することになると思いますので、

その演技が楽しみですね!

 

 

上杉景勝とは?清廉で「義」を重んじる武将

9歳で上杉謙信の養子に!直江兼次との出会い!

上杉景勝は、上杉謙信の重臣、長尾政景の

次男として生まれます。

母は、上杉謙信の姉・綾御前(仙桃院)です。

その後、兄が10歳で夭逝、

父も1564年、野尻池で溺死(謀殺説もあり)

したため、長尾家は断絶します。

まだ9歳と幼かった景勝は、

生涯独身で、子のない謙信に引き取られ

養子となります。

しかしまだ名は、長尾顕景と名乗っています。

その時、幼い景勝と共に、春日山城で

謙信に学んだのが、まだ4歳だった

後の直江兼次といわれています。

幼き頃から聡明だった兼続をみて、

母の綾御前(仙桃院)が見込んで、

小姓として傍につけたと言われています。

仙桃院は、人を見る目が有ったのですね!

 

 

上杉謙信急死!御館の乱(おたてのらん)勃発!

 

1570年、上杉謙信は、

北条氏康と和睦した際

七男・北条三郎(北条氏秀)を

人質として取りますが、

人質を嫌う謙信は、この北条三郎を養子にします。

美男であった三郎を、謙信は非常に気に入り、

上杉景虎の名を与え、上杉一門として

厚遇したのです。

景虎の正室には、仙桃院の娘、景勝の実姉が

嫁しています。

これで、謙信の後継者として

目されたのです。

 

 

一方、長尾顕景(後の上杉景勝)は、

1556年に初陣を果たし、

1575年には、名を上杉景勝に改めます。

この時謙信から、弾正少弼の位を

与えられています。

1576年、越中を平定した上杉謙信は

1577年侵攻してきた織田軍2万余と、

手取川の戦いで激突します。

上杉軍は、2万の兵で織田軍を

迎え撃ち、大勝したと言われています。

 

 

ところが、関東遠征準備の最中、

1578年3月13日にに上杉謙信が

急死します。

脳卒中だったと言われています。

 

 

急であったため、後継者が決まっておらず、

上杉景勝と上杉景虎の間で家督争い

勃発します。

上杉景勝は春日山城を占拠し、

上杉景虎は、御館(おたて)に籠って

抵抗したため、御館の乱(おたてのらん)

と呼ばれています。

 

この乱で活躍したのが、

樋口兼続(後の直江兼続)です。

上杉景虎は、春日山城内の軍資金

2万7千両のうち、1万両を武田勝頼に送り

味方につけたと言います。

これにより、当初優勢だった景虎は、

景勝に敗れ、24歳の若さで自刃します。

 

この御館の乱の後、名実ともに

上杉謙信の後継者となりました。

 

 

余談ですが、この時の武田勝頼との同盟で、

武田信玄の娘であり、勝頼の妹でもある

菊姫が、上杉景勝の正室として

迎えられています。

菊姫は、上杉家で‟武田御前”と呼ばれ

生涯敬愛されたと言います。

 

 

本能寺の変の後、上杉家が真田家を支援できなかった理由

1581年、そう本能寺の変の前年です。

 

御館の乱の恩賞問題で対立関係にあった

新発田重家が織田家と結託。

上杉家は挟み撃ちに逢います。

 

同盟関係にあった武田勝頼は、織田・

徳川連合軍に敗れ、

翌年1582年3月に自刃してしまいます。

 

織田勢は、柴田勝家を大将に、

佐々成政、前田利家、佐久間盛政、

不破光治ら4万の兵で、

籠城する魚津城を攻めたてます。

城内には3千の兵しかおらず、

この危急を直江兼続に書状で知らせています。

 

決死の覚悟で城を守った上杉兵ですが、

5月9日には鉄砲の弾薬も尽き、

1582年6月3日に魚津城は陥落します。

そうです!本能寺の変の前日です!

この城が陥落し、上杉景勝は

越中を失い、すわ滅亡か!!

という、瀕死の状態だったのです!

 

 

本能寺の変がなかったなら、

武田勝頼と同じ命運を辿った

かもしれないのです。

 

ただし、小山田信茂のような、

裏切り者は、上杉家には居なかったようですが!

 

 

このような状態ですから、

もはや上杉家には、

とても真田家を支援する力は

残っていなかったのです。

 

 

明智光秀を破った羽柴秀吉に、

柴田勝家を攻めるよう要請されるも、

それすらできないほど、

国力は衰退していたといわれています。

 

上杉景勝の人物像

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E…

上杉景勝は、生涯、養父・上杉謙信を

尊敬し続けた人でした

謙信公と同じく、むやみな侵略戦争は

行わず、かといって売られた喧嘩は

堂々と受けて立っています。

 

 

後に、真田昌幸が上杉家を頼って

行った時には、人質に出された

信繁(後の幸村)を厚遇したことで

知られています。

何か心が通じるものがあったのでしょうね。

名将の心、名将が知る、

ということでしょうか。

 

 

豊臣秀吉亡きあと、

徳川家康と対立した上杉景勝は、

徳川の上杉討伐を受けてたち、

白河の南方革篭原で、徳川勢を

全滅させる体制を取っていたそうです。

 

 

しかしここでまた、歴史は大きく動きます!

 

1600年7月、家康が上杉討伐へ向かったと聞き、

石田三成が挙兵します!

これを聞いた徳川家康は、

急遽踵を返し、5万の軍を西へ返します。

 

徳川を討つ絶好の機会ととらえた

直江兼続が、家康の背後を攻撃するよう

進言しますが、

 

「敵の背後を突くことは、

 謙信公の教えに背く。」

 

と、景勝は聞き入れなかった

そうです。

 

後にも先にも、景勝が兼続の進言を

入れなかったのは、この時だけだと言います。

 

このように、義を重んじる

篤実な人物像が浮かび上がります。

 

 

 

 

さて、上杉景勝や、直江兼続と

真田家との関わりは、本記事のみでは

書ききれない部分が多々あります。

なので、【大河ドラマ】真田丸の

ストーリーが進むにつれ、

上杉家と真田家の物語

お伝えしていこうと思います。

 

 

では、今日も最後までお読みいただき、

ありがとうございました!

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